『 約 束 』







              夜も更けた頃、ベッドから起きた甚平は鼻を動かした。
              「あれえ、すんげえいい匂いがする・・・なんだろう?」
              そして階下へ降りると、カウンターで何やら作業をしているジュンの姿があった。
              彼女はオーブンを覗き込み、焼き具合を確認しているようだ。
              「お姉ちゃん」
              「あら、甚平。ごめんね、起こしちゃった?」
              「ううん、いいよ。何だい?えらくたいそうなお料理じゃんか」
              ジュンは笑った。
              「ふふ、そうなの、せっかく教えてくれたレシピだもの。ちゃんと作れるようにならな
              いと怒られちゃうわ」
              「ああ、そうだね、もう1年になるのか・・・」
              甚平はそう言って俯くと、ジュンも同じように悲しげな表情で俯いた。
              霧深い草むらの上で、ジョーは彼らに惜別の言葉を一人一人にかけ、そして彼らの知ら
              ないうちに旅立って行ってしまった。
              甚平は鼻をすすり、そして冷蔵庫から何かを取り出した。
              「おいらも、実は教えてもらったレシピ作ってみたんだ」
              「なあに?」
              それは銀のトレイに凍った茶色いものだった。
              「これをね、フォークでザクザクとやって・・」
              甚平は大雑把に砕いたそれをガラスの器に盛り付けた。
              「これはね、”グラニータ”と言って、いわばかき氷みたいなものだって。これはあらかじ
              め作っておいたグラニュー糖のシロップにコーヒー(主にエスプレッソ)を混ぜ、冷蔵
              庫で凍らせただけで作れるんだ」
              「へえ、簡単なのね」
              とちょうどオーブンからチン!という音が聞こえた。
              「できたわ!」
              「お姉ちゃんのは?」
              「”イカの香草パン粉オーブン焼き”よ」
              「わあ、すげえ」
              甚平は、ジュンが取り出したオーブン皿の上のイカに目を丸くした。
              「これってね、ほとんど手間がかからないの」

              ”イカの香草パン粉オーブン焼き”の手順はこうだ。

              1 イカに塩胡椒をふりかけ、オリーブオイルをまぶす。
              2 ボウルに衣の材料(パン粉、ニンニク、イタリアンパセリ、乾燥オレガノ、パルミ
                ジャーノをすりおろしたもの)をすべて入れ、よく混ぜる。
              3 1のイカを2の衣に軽く押しつけながらよくまぶす。
              4 オーブン皿に並べ、上からオリーブオイルを軽くかける。
              5 180度のオーブンで約8分、軽く焼き目がつくまで焼く。


              ジュンはそれをナイフで一口大に切り分けた。
              「あら、柔らかい。ねえ、甚平、味見してみて」
              「え?いいの?」
              「モチよ」
              甚平はフォークで1つ刺すと口へ運んだ。いつもならば彼女の作った料理にはケチをつ
              けて口にしないのにこの時はどういうわけか躊躇なく食べた。
              「うまいよ!お姉ちゃん!」
              「本当?」
              ジュンは同じように口へ運んだ。
              「あら、ほんと」
              「・・さてはお姉ちゃん、おいらに毒味させたな」
              「まあ、毒味だなんて失礼ね」
              「おっと、これ溶けちまわないうちに食べなきゃ」
              甚平はグラニータに手を伸ばした。
              「ま、ごまかして」
              「お姉ちゃん、これもうまいよ」
              ジュンは一口口に入れた。
              「本当だ。大人の味ね」
              「よかったね、成功して。これでホッとしているんじゃない」
              「そうね・・」
              2人は微笑みあった。


              まだ午前の日差しの強くない頃、誰もいない海岸をひたすら走っている竜の姿があっ
              た。
              そしてそれを彼の父親と弟の誠二が見ていたが、やがてこんなことを言い出した。
              「竜兄(あん)ちゃん、どうしたんだろう。結構頑張ってるよ?」
              「ん、竜もあれでなかなか頑固なやっちゃだからのう。やっぱり友達に言われたのが効
              いてるんだべ」


              そしてとある日の夜。じっと夜空にかかる月を眺めていた健は、庭に停めてあるセスナ
              機に近づいた。
              そして彼はセスナ機に飛び乗り、エンジンをかけた。
              それは勢いよく飛び上がり、星のきらめく夜空に浮かぶように飛び始めた。
              しばらく無言だった健は、空を見上げながらこう言った。
              「どうだい?今日も綺麗な星空だ。・・お前が望んでいた空だぜ。見えるだろう?」
              やがてそうやって飛び続けた健はレバーを引き、また今来たコースを戻るように旋回し
              た。そして下を見下ろして顔をほころばせた。
              そして降下し、元の位置に戻った。建物の先にはジュン、甚平、そして竜の3人がもう
              集まっており、テーブルを準備していた。
              「やあ、もう集まったのか」
              「健が戻ってくるのを見計らってきたのよ。きっと飛んでいるだろうって」
              「もう腹減って仕方ないぞい」
              「待ちなよ、竜。ねえ、兄貴、見てくれよ!これ、お姉ちゃんが作ったんだぜ!」
              テーブルの中央にある白い皿の上にはこんがりと焼けていい匂いをさせているイカの香
              草焼きが並べられていた。
              「へえ、ジュンが作ったのか」
              「イカは竜が新鮮なものを持ってきてくれたのよ」
              「そんでねえ、これはオイラが作ったんだ」
              「すごいな」
              「そんじゃあ皆揃ったから始めるぞい」
              「うん」
              「「いただきまーす」」
              4人は立食パーティーよろしく各々食べ始めた。
              ジュンはじっと息を飲んで健が食べるのを見つめた。彼はそれに気づいてこう言った。
              「うまいじゃないか、ジュン」
              「本当?健」
              「ああ、きっと喜ぶぞ」
              ジュンはいつもなら自分が褒められたわけじゃないことに怒るところだが、彼の思いを
              察して微笑んだ。
              「本当?だといいんだけど」
              「うんうん、うんめえわさ。ジュン、これならもう安心じゃい」
              「大食らいの竜が褒めてるぜ、よかったね、お姉ちゃん」
              ジュンは涙をぬぐった。
              「私だけじゃないわ。きっと・・力を貸してくれたのよ」
              「まあ・・お姉ちゃん一人じゃこんなにうまくできないもんね」
              「ま!言ったわね」
              ジュンは甚平の額を小突いた。
              「イテッ、自分で言ったんじゃんか」
              「おいおい、2人とも。相変わらずだと笑ってるぞ」
              「なんだよ、兄貴。ジョーの言葉が聞こえるんなら言ってくれよ、笑ってないで降りて
              きて食ってみてよって」
              健は目を伏せたが、笑って甚平を見た。
              「甚平が寝静まったら来るってよ」
              「ええ?」
              竜とジュンは顔を見合わせた。
              「健が来るんじゃろ」
              「あら、それじゃ全部食べなきゃ」
              2人は小声で言ったが、健に愛想笑いをした。
              健はやれやれと頭を振った。

              食事が終わると面々は芝生の上に腰掛け、夜空の星々を眺めた。竜は相変わらずという
              かやっぱりというかいびきをかいて大の字で寝ていたが、3人は大して気にせずにい
              た。
              「綺麗ね・・・」
              「ああ」
              「そういえば、兄貴はジョーの兄貴に何しろって言われたの?」
              「・・・特になかったなあ、宿題」
              「えー、ずるいや〜」
              「ふふ、ジョーと健はね、もう何も言わなくても通じる仲なのよ」
              「へえ、お姉ちゃん、妬かないの?」
              「別に」
              「強がっちゃって!」
              「うるさい!」
              健はじっと輝く星たちを見つめた。
              「・・・・」
              あいつは・・・

              ”最後の最後まで迷惑をかけちまったが、おめえにはいろいろ感謝してるぜ・・・”

              「・・・ジョー・・・」

              ”最後まで説教か?”


              「俺は奴を見るとすぐに小言を言うと思って余計なこと言わなかったじゃないのかな
              あ」
              「そうだよ!あのときだって怒ってさ。ばかやろうっとか言って。ほんと、兄貴って素
              直じゃないんだから」
              健は甚平の頭を小突いた。
              「こいつ、生意気言いやがって」
              「へへへ」
              すると背後で竜の声がした。
              「う〜ん・・・もう食えねえ・・・」
              「まあ」
              「しょうがないなあ、竜は」
              3人は笑ってまた夜空を見上げた。
              「またこうして会おうぜ。あいつも来てくれるだろうからな」
              「そうだね、また5人一緒にいようよ」
              3人の頭上では星々が瞬いた。まるで返事をしているかのように・・・。









                           ー 完 ー





               この話は、『夢の中へ』のアンサー編となっ ています。
      






                            fiction