『
夏休み 』
スナックJはいつものように静かだった。
今は夏休みで、若者たちはそれぞれの故郷へ帰省していてやってくる者はほとんど
いないからだ。
時々やってくるお客といえば、行き場のないお父さんが仕事の愚痴をごぼして仲間
に介抱されて帰るとか恋人に振られて大虎になっている女性とかばかりだ。
「は〜」
カウンター脇では甚平がやや大げさにため息をついていた。
「ま、何よ。甚平ったらサボって!ほら、あそこのテーブル片付けてちょうだい」
「もう、お姉ちゃんってば、おいらがこんなに頑張っているのに全然褒めてくんな
いもんなあ」
「あら、働くのは当然でしょ。楽して遊ぼうなんて100年早いわよ」
「100年なんて爺さんになっちまうよっ」
「働かなくて済むわよ」
ジュンは笑ったが、甚平はプイと頬を膨らました。
ゴミ捨てへ外へ出た甚平はあまりの太陽の眩しさに顔をしかめた。
「ひゃあ、暑いなあ。ちくしょう、涼しいプールとかに行きたいなあ」
そんな甚平の目の前を親子らしき3人組が通り過ぎた。
「まあまあそんなにはしゃがなくても田舎は逃げないわよ」
「だって〜、早く行こうよ、おばあちゃん家!」
きっと田舎の祖父母の家に遊びにいくのだろう。
「いいなあ・・」
甚平には田舎はない。孤児だからだ。
毎年夏になると帰省する親子とかの話が必ずテレビに出る。
「田舎かあ・・どんな感じなんだろうなあ。一度でいいから、遊びに行きたいもん
だなあ」
甚平はトボトボと店へ戻った。
「・・無理だけど」
「なんだ、甚平、しけた顔しとるのう」
「・・なんだ、竜か」
「だんだ、とはなんじゃい。こうやっておめえの顔見にきたっていうのに」
「で、今日はなんの用?水?」
ジュンはやれやれという顔をした。
「甚平ったら」
「のう、甚平。おら、田舎に帰るんだが、一緒に来るか?」
「・・えっ」
「なんか、いつも一人で帰るのもなんというか・・ちょっと人数が多けりゃ楽しい
かな、なんて・・」
隣のジュンは何食わぬ顔してお皿を洗っていたが、甚平はピンときた。
「でも・・店が・・・」
「あら、その間ここも夏休みにしちゃえばいいのよ。どうせ誰もこないし」
「そいじゃあ決まり!よかったな、甚平!」
竜が思いっきり肩を叩いたので、甚平は思わず悲鳴をあげた。
「いってええ!もう、竜ってば!」
数日後、甚平と竜は北へと向かう列車が発つ駅のホームにいた。
「なんか、本当にいいの?竜」
「なーに今更言ってんだか。子供が多い方が母ちゃん喜ぶぞ」
「そう」
甚平はそう言いつつ、とてもワクワクしていた。何しろ電車に乗って遠くへ出かけ
るなんて生まれて初めてだからだ。
竜の故郷は東北の漁村だ。
駅を降りると潮の香りがする。近くには大きな市場があり、朝はセリでとても賑や
かなことだろう。
竜の家はそこから歩いてしばらくした村にあった。
田舎の家らしく大きな庭に立派な鬼瓦付きの屋根だ。
竜の父親はこの一帯の漁業組合の組合長をしている。それなりの立派な家だと甚平
は思った。なので急に竜がすごい人物に思えてきた。
「母ちゃんただいま〜」
奥から弟の誠二がやってきた。
「竜あんちゃん、おかえり!」
「あ、あの、こんにちは・・」
「あ、甚平あんちゃん、こんにちは」
「あんちゃん・・」
甚平はなんだかくすぐったくて笑った。
「母ちゃん、竜あんちゃんとお友達だよ」
「おかえり、竜。ようこそ、甚平くん。竜から聞いているよ。さ、ゆっくりしとい
で」
「父ちゃんは役場かいの」
「遅くなるってさ。会議だとよ。風呂湧いているから、入れ」
「うん。よし、誠二、甚平、風呂にすんぞ」
「うん!」
甚平は驚いた。みんなでお風呂はいるの!
湯船は甚平が思ってた以上に大きくて深かった。
「これはな、近くから温泉を引いているんだぞ」
「温泉?竜んちはいつも温泉に入れるの?」
「そうだよ!お客さんが来るといつもこうするんだ」
誠二は自慢げにそう話した。
「へえ・・」
甚平には驚きの連続だった。
まず料理。竜の母親は料理好きで男ばかりの家族のためにたくさん作る。新鮮な刺
身や煮つけ、揚げ物などたくさん並ぶ中で、甚平が特に感動したのは、魚介のダシ
がふんだんに溶け込んだ味噌汁だった。
「こんなうまい味噌汁飲んだことないよ!竜のお母さんはすごい料理家だね!」
「そうかい?こんな田舎の味噌汁喜んでくれるなんて」
それから布団というものでみんなで寝るという楽しさ。
おしゃべりに夢中でいつまでも起きていて竜の母親に早く寝な、と言われてもなん
だか楽しい。
夏休みの遊びの定番といえば、虫取りだ。何しろ自然豊かなので、天然の虫がわん
さかいる。
おまけに夜になると蛍が飛んでいるのも見られた。
何もかもが甚平には初めての体験だった。
楽しい数日はあっという間に過ぎた。
甚平は竜とともに帰ることになった。
父親も一緒に家族みんなで見送ってくれ、甚平はなんだか寂しくなった。
スナックJの前にやってきた甚平は立ち止まった。
「・・やっぱ隠しておいた方がいいかなあ」
彼の手には虫かご、そして中には天然の元気なカブトムシがいる。
「いや、田舎へ行っていい、って行ったのはお姉ちゃんだからね。田舎にはつきも
のだからね」
そしてドアを開けて元気よく入った。
「ただいま〜」
「きゃー!!!甚平!!」
2階に上がった甚平はカブトムシを眺めながら楽しかったひと時を思い出し、やが
て寝息を立てて眠りに落ちた。
ー 完 ー