『  潮騒 』



                 誰もいない海岸に、子連れがやってきた。
                 人影は遥か遠くにちらほらあるだけで、波の音がする以外はとても静か
                 だった。
                 彼らは立ち止まった。
                 「・・・しばらくここには来ないだろう。」
                 ジュゼッペがそう言うと、カテリーナはそっと彼の横顔を見つめた。そ
                 して握っていた手をぎゅうと締めたので、ジョージは母親を見上げた。
                 「・・・ママ?」
                 彼女はふと悲しそうな顔をしたがつとめて微笑んだ。
                 そして再び砂の上を歩き出した。
                 何も言わずに歩く両親と打って変わってジョージはウキウキした足取り
                 だった。
                 普段なかなか一緒に遊んでくれない両親が、今日はずっといてくれるの
                 だ。しかも出かけようと言い出した。
                 彼らは最低限のものだけを持参し、ジョージには外出の本当の理由を言
                 わずに近所にも黙って出て来た。

                 ジュゼッペとカテリーナはギャラクターの上層幹部に所属していたが、
                 悪事に手を染める組織の企みに嫌気が差していた。内部での作業中にや
                 がて自分たちの家族に危険が及ぶ事を知り、一人息子のジョージを守る
                 ため、脱退を決意したのだ。
                 しかしそれはごく普通の円満な辞め方でなく、ささやかな反乱を起こす
                 形で逃げるように出て来たのだ。
                 当然、ギャラクターはジュゼッペとカテリーナを反旗を翻した裏切り者
                 として目をつけるようになった。
                 彼らは周りの住人にも気付かれないよう荷物はあまり持たず、まだ人々
                 が眠る朝もやの中、人知れず家を出た。

                 彼らはしばらく歩いていたが観光客のために置いてあるテーブルの近く
                 に来ると、立ち止まった。そしてカテリーナは椅子に腰掛けるとジョー
                 ジを膝の上に載せた。
                 「ちょっと見てくる。」
                 カテリーナはうなづいた。
                 「・・・気をつけて。」
                 ジュゼッペはジョージの髪をくしゃくしゃにして辺りを見渡しながら立
                 ち去った。
                 「パパ、どこに行ったの?」
                 「きっとジョージの好きなものを買いに行ったのよ。」
                 「好きなもの?何かなー。ミニカーかなー」
                 カテリーナはジョージの髪を撫でた。

                 ジュゼッペはある気配を感じ取った。
                 遥か遠くではあるが、人影が見える。2、3人ではない。何人もいる。
                 彼は鼻で笑った。
                 「たった3人殺るのに随分大仰なもんだ。」
                 妻と息子の元に戻った彼の表情は厳しいものだった。
                 カテリーナはそんな彼を見て事を悟った。
                 「ジョージ、ママとお話出来たかい。」
                 「うん。パパ、ミニカー買って来てくれたの?」
                 しかしジュゼッペは微笑んだだけで何も出さなかった。ジョージはがっ
                 かりした顔をした。
                 「・・・もう来てる。やはり付けて来たんだろう。」
                 「・・・・・。」
                 カテリーナは思わずジョージを抱きしめた。
                 「仕方ない。」
                 「・・・・あなた・・・もう少し待って。」
                 ジュゼッペはじっと2人を見下ろした。

                 しばらく経ち、ジュゼッペはジョージの頬を撫でた。
                 「・・・ジョージ、パパとおいで。」
                 「なあに?ママは?」
                 「大丈夫、”後で”行くよ・・」
                 ジュゼッペはカテリーナの膝から降りたジョージの手を引いて背を向け
                 た。
                 カテリーナは思わず声を上げそうになったが、顔を背けて覆った。
                 ひたすら歩いてカテリーナのいる場所からだいぶ離れたのを確認した
                 ジュゼッペは、懐から銃を取り出し、分からないようにジョージの後頭
                 部に向けた。
                 あいつらに無惨にやられるより、自分の手で逝かせてやろう。それが親
                 としてのせめてもの償いだ。
                 そして引き金に手を掛けたとき、ジョージは振り向いた。
                 「ねえ、パパ。」
                 ジュゼッペは慌てて銃を後ろ手に隠した。
                 「・・な、なんだ、ジョージ。」
                 「お腹空いたよ。おうち、帰ろう。」
                 「・・・・。」
                 「ママはお家には戻れないって言ってたけど、そんな事ないよね?」
                 ジュゼッペは銃をポケットにしまうと、再びジョージの手を引いて歩き
                 出した。
                 カテリーナはそんな2人を見つめていた。
                 ジュゼッペはジョージを手に掛ける事が出来なかった。きっと自分たち
                 を監視している連中が消してしまうかもしれない。でも、夫を殺人させ
                 ないで済むのならそれでもいいかもしれない。

                 だが2人は考えた。消されるのは自分たちだけでいい。ジョージには罪
                 はない。
                 彼には生きてて欲しい。
                 ジュゼッペは言った。
                 「ジョージ、あの海辺に行って遊んでおいで。」
                 「パパとママは?」
                 「ここで待ってるよ。いいかい、出来るだけ遠くへ行くんだよ。そこで
                 姿勢を低くしてなさい。いいね。」
                 「・・・うん・・」
                 ジョージは駆け出した。
                 2人は黙って彼の小さな後ろ姿を見つめた。
                 恐らくこれが最後の会話となるだろう。あの子には自分たちの分まで生
                 きていて欲しい。何事も心配事もなく幸せに暮らして欲しい。

                 2人はジョージの行く末を案じつつ、追っ手の魔の手から生き延びて欲
                 しい、と小さくなってしまったジョージの姿をいつまでも見守ってい
                 た。



                     
                                 fiction