『  お弁当 』




                   「このくらいだったかなあ」
                   ジョーは手を休めてこう呟くように言った。
                   「よく見とけば良かったぜ」
                   そう言いながらも、彼はまた”それ”を捏ね始めた。
                   薄力粉とセモリナ粉をよく混ぜ、生イーストを加えてまた混ぜる。そしてそ
                   こに残りの生地の材料を入れ、またよく混ぜる。
                   ジョーはそれを暫く置いた。イーストの発酵を待つためだ。
                   「こらこら、まだだよ」
                   彼は足元でじゃれるルナに言った。
                   「またお前の好きなのを作ってやるから、大人しくしてろよ」
                   ルナは分かったのか習慣なのか、にゃあと鳴いてまた彼の長い脚にじゃれつ
                   いた。
                   「お前は、やっぱり生風の魚がいいだろ。”アグロドルチェ”でいいか」
                   ”アグロドルチェ”というのは、特にまぐろを使う場合が多いが、薄力粉を混ぜ
                   てフライパンで焼き、白ワインで煮たものに、別に作った甘いマリネ液を掛
                   けてさらに煮た料理だ。それならこいつも食べられるだろ。というわけだ。
                   ネコに限らずペットというものは、人間と同じものを食べてはならないのだ
                   が、どういうわけかルナはジョーが作るものを食べたがる。しかもとても幸
                   せそうに食べてくれるのだ。彼の料理は特別らしい。まだ仔猫だというのに
                   全く不思議だ。
                   「お前もお袋の味が分かるのか?ネコのくせに変だぜ」
                   ジョーはバッドにオリーブオイルを塗ると、発酵している生地を流した。そ
                   してその上に、パッサータ、アンチョビ、にんにく、イタリアンパセリ、パ
                   ルミジャーノ、細引きパン粉、そしてオレガノを順に乗せた。
                   これらは近頃出来た輸入品を扱うお店から仕入れる事が多い。この地に来て
                   10年近く経つが、やはりどうしても故郷の料理が食べたくなるのだ。レス
                   トランはあるが、まだまだ本場の味には出会えない。だからジョーは、母親
                   の作ってくれたものを思い出していたのだ。
                   さて、これからが長い。その生地に濡れたふきんをかけ、そのまま2倍にな
                   るまで約1時間発酵させるために置いておくのだ。
                   ルナは興味津々にマグロのマリネ付け・アグロドルチェを見つめた。食べた
                   いのか、じっと見つめている。
                   ジョーはそんな彼女を見てふっと笑ったが、別のを作り始めた。これこそ定
                   番のアランチーネだ。
                   彼は母親が作ってくれたそれを持ってよくアランと海の見える丘で食べた。
                   アランチーネはラグー(牛ひき肉)入りの丸形とハム・チーズ入りの円錐形
                   の2種があり、それを1個ずつ頬張るのが何よりも楽しみだった。
                   ラグーはしんなり炒めたタマネギと牛ひき肉を塩と黒こしょうで炒める。そ
                   してパッサータ、少量のお湯とグリンピースを加えて水分を飛ばしながら煮
                   詰める。最後にパルミジャーノを加えて完成だ。
                   そして円形に形づけた米に乗せ、ラグーを包み込むように米で被う。おにぎ
                   りを作る要領だ。
                   円錐形のは、中にハムとチーズを包む。これは食べるのも楽しいが、作る行
                   程も楽しい。小さな頃は、よく手伝ったものだ。カテリーナはこれなら、と
                   いつもやらせてくれたのだ。
                   出来上がったライスボールに薄力粉をまぶし、溶き卵にくぐらせてパン粉を
                   まぶして油でカラッと揚げる。香ばしい匂いが辺り一帯に広がった。
                   ジョーは先ほどからじっとそれを見上げているルナを見て、視線を戻した。
                   よっぽど腹が減ったのかな、と思いながらそれを引き上げると、発酵させて
                   いた生地をオーブンに入れた。
                   15分くらいしてそれを出し、粗熱を取って取り出し、適当な大きさに切り
                   分ける。塩と黒こしょうを振り返れば完成だ。
                   「これはな、”スフィンチョーネ”って言うんだ。ピザトーストに似ているか
                   な。親父はよくワインを飲みながらこれを食ってたっけな」
                   誰ともなく、ジョーはそんな事を話しだした。記憶の中に、美味しそうにス
                   フィンチョーネを口にし、ワインを飲んでいたジュゼッペの姿がおぼろげな
                   がら残っていた。
                   「これなら外でも食べ易いだろ」
                   そう、ジョーはこれからルナを連れて、外で食べようと考えていたのだ。
                   ちょっとしたピクニックだ。
                   彼には気に入っている場所があった。ちょっと遠いが、レース場近くの高台
                   から眺める景色が最高で、彼は時々気分が乗らない時に来ては、時間の経つ
                   のも忘れて過ごす事があった。
                   ジョーは出来上がったものを包んで、ルナを高座席に乗せると、車を発車さ
                   せた。
                   今日はとても天気がいい。ピクニックにはうってつけだ。
                   ジョーは高台近くの丘に上ると、腰掛けて包みを広げた。ルナはさっそく
                   やってきてちゃんと座った。しつけたつもりはないのに、人間みたいなネコ
                   だ。
                   彼は彼女にマリネ付けのマグロを与えると、父親のようにスフィンチョーネ
                   の一切れを頬張った。フワフワとした食感とパッサータの酸味が美味しい。
                   アンチョビが入って、なるほど酒が進むわけだ。
                   マリネを食べていたルナは、やはりアランチーネが気になるらしい。ごそご
                   そと漁るように首を突っ込むと、あっという間に一つ咥えると、食べ始めて
                   しまった。
                   「おい、ルナ。・・・大丈夫なのか?」
                   ネコにこんなもの食わせて・・と彼は心配したが、彼女は気にも留めずに美
                   味しそうに食べている。
                   そんなに旨いのか?味が分かるのか?
                   ジョーがそんな事を思っていると、ふと彼の耳に懐かしい声が聞こえてき
                   た。
                   『・・ふふ、ジョージくん、美味しいね・・・』
                   「・・!」
                   ジョーは思わず見渡した。
                   「・・・レナ・・?」
                   ふと彼は自分を見上げているルナと目が合った。彼女は首を傾げているよう
                   に見える。
                   彼はじっと仔猫を見つめたが、やがてため息をついて再び姿勢を正した。
                   「・・まさかな。ちぇっ、幻聴か」
                   ジョーはすり寄ってきたルナを撫で、眼下にそびえる草原を見つめた。
                   やがてジョーは横たわり、目を閉じた。しばらく風に身を任せるようにじっ
                   としていたが、眠ってしまった。ルナは彼のそばにやってきて丸くなり、同
                   じように眠り始めた。



   
                                  ー 完 ー



                      *今回は、以下のお題で作りました。

                    「誰かのためにお弁当を作っているコンドルのジョーをかきましょう。」
                     https://shindanmaker.com/149262











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