健一はすっかり暗黒と化した空を見つめ、時計を見上げるとはあと息を吐いた。
彼はゆっくりと入り口に近づくと、交番前の慌ただしい光景を眺めたが、彼の目に
は何も映っていなかった。
「・・・あいつ・・どうしたんだ」
健一は不安顔だった。交代の時間が過ぎているというのに城嗣がやってくる気配が
ないからだ。
そして携帯を取り出したが、電源を切っているようだ。こんなこと今までなかった
のに。
と、彼の眉間にしわがよった。
(・・・あいつの身に何か・・!)
健一は少し離れたところにある寮へ向かった。そして階段を上がると、彼の部屋の
前にやってきてチャイムを押した。
が、しばらくたってもドアが開く気配がない。彼がもう一度押そうとした時、よう
やく開いた。
そこにいたのは華音だった。
健一は少しかがんで彼女に話しかけた。
「やあ、こんばんは、華音ちゃん」
「・・こんばんは」
「パパはいるかい?」
華音はまっすぐ健一を見つめていたが、首を振った。
「ジュース買いに行ってる」
「ジュース?それはいつ?」
「えーと・・・華音がテレビを見てた時」
健一は考えた。多分彼女は幼児番組を見ていたのだろう。おそらく夕方の5時ごろ
だ。
だが今はもう夜の9時だ。
「華音ちゃん、ずっと待ってたのかい?」
「うん。パパ、お兄ちゃんのとこにいるの?」
「あ・・いや・・」
健一は口をつぐんだ。が、すぐに何食わぬ顔をしてこう言った。
「ああ、そうなんだ・・急にお仕事が入ってね。そうだ、お腹空いたろう?お兄
ちゃんと一緒に食べよう」
健一は戸締りを確認し、彼女の手を引いて寮を後にした。城嗣がいなくなったのな
らこの子を一人にしておくのは危険だ。
「パパのところ?」
健一は彼女を見て微笑んだが、すぐに背けた。
(・・・一体どうしたんだ、ジョー)
城嗣は暗い倉庫のようなところに寝かされていた。彼は両腕を後ろ手に縛られ、目
隠しまでされていた。
そしてその近くでは女たちの会話がしていた。
「今度こそ奴らとケリをつけてやる。こっちは人質がいるんだ、ちっとやそっとで
は手出しはできまい」
「ふふ、楽しみだねえ」
城嗣は強い薬を嗅がされたせいで意識が朦朧としていた。なので彼女たちの声をま
るで霧の中はるか遠くで聞いている感覚だった。
彼はまた目を閉じ深い眠りについた。
華音はとりあえず交番奥にある休憩室に寝かせておくことにした。
夜遅くなってしまったためか、彼女はもう眠ってしまい、布団をかけた純子は部屋
から出た。
そして健一の背中を見つめたが、彼は何かを思い出したように懐から何かを取り出
した。それは小型の探知機だった。
「健、それはー」
「ああ、もしかしたら・・この前の記録が残ってるかもしれない」
純子は以前に城嗣がアジトに連れて行かれた時のことを思い出した。たとえ本人が
身につけていなくても彼の居場所をキャッチしてくれるかもしれない。
健一は眉をひそめた。
「うーん・・やっぱり鮮明度が粗いな。簡易な造りだからな」
「でもやってみるしかないわ」
「そうだな。こうしている間にも、ジョーが・・」
「・・え?今度こそ女狐どもの居場所を突き止めたって?本当なんでしょうね
え?」
捜一に向かった健一に吉羽は疑いの目を向けた。
「ああ、少なくともそちらのものよりも性能がいいはずだ」
「・・くー、言わせておけば〜・・・」
「行くだろ?」
「行きますよ!行けばいいんでしょ」吉羽は振り向いた。「おい、野郎ども!キツ
ネ狩りに行くぞ!」
「先輩、キツネじゃなくて蜘蛛でしょ」
「蜘蛛だったら反対に狩りとられるじゃねえかよっ」
「先に行ってるぞ」
健一は捜一を後にした。
「お、おい、待てっ」
吉羽たちは慌てて後に続いた。
健一と純子の持っている探知機を頼りに向かった先は波止場だった。この近くの倉
庫に潜んでいるのか。
「港か・・やつらめ、あわよくばどこかへ脱走しようと考えているな」
健一がさっさと歩き出すと、吉羽たちはついて行った。
やがて一行は立ち止まった。クレーンが並ぶ一番奥まった場所に建つ倉庫だ。
「ここだ」
健一がそう言うと、吉羽は仲間に向かって叫んだ。
「行くぞ!」
「おお!」
健一と純子は顔を見合わせ、彼らが開けたドアから入った。そして慎重に伺う捜一
を置いて奥へと進んだ。
「この上にいる。多分女たちが見張っているはずだ」
「ええ」
2人は階段を軽々と駆け上がった。その部屋は3階にある。吉羽たちはちょっと文
句言いそうだ。
健一はピタッと壁に体を付け、そっとうかがった。
女が2、3人立っている。見張りだ。黒づくめの姿は間違いなく彼女たちだ。その
中の一人の背中に赤い模様のついた黒蜘蛛の絵がプリントされている。
「行くぞ、ジュン」
「いつでもいいわ、健」
2人は駆け出した。と同時に女たちが彼らに気がつき、構えた。
健一と純子は彼女たちと拳を交えたが、思いの外強くて互角だ。なかなか突破でき
ない。
「・・はあ・・やるな・・」
「ふふん、女だからって甘く見てたかい?」
「よくここがわかったじゃないか」
健一はかすかに笑った。
「教えてくれたからな」
女は眉をひそめた。
「・・まさか。立ち上がれないくらい痛めつけたはずだし体だって動かせー」
するとバーン!という音が響き、ドアが開いて女が倒れこんできた。
「どうした!・・・はっ」
彼女たちは息を飲んだ。虫の息のような状態だったはずの城嗣が起き上がってこち
らを睨んでいたからだ。
「ジョー・・!よかった・・」
純子が安堵したようにそうつぶやくと、それを合図に健一は女たちに次々と拳を入
れた。
そこへ吉羽たちがやってきた。
「遅いぞ、待ちくたびれた」
「しょうがないじゃないですか、ここはエレベータなし!あなたたち人間じゃない
でしょ」
健一は純子と顔を見合わせ笑った。
「だいぶお寝んねし始めたぜ。連れてけよ」
城嗣がそう言うと、吉羽たちはハッとして女たちを抑えた。
「離せっ!」
「うるせえ、黙れ」
「はいはい、行きますよー」
捜一の一行はもはや抵抗もできなくなっていた女たちを抱えるようにして連れ出し
た。
健一は城嗣を見た。
「大丈夫か?怪我しているようだな」
城嗣は頭を振った。
「いや、大したことない。薬を嗅がされたからまた頭がぼうっとするが・・」
「戻って休みましょう。皆よくやったわ」
「ああ。これで一旦安心だな」
3人は階段を降りた。
Black Widow捕獲成功。
このニュースに署は沸き立ち捜一メンバーは鼻高々だった。
「先輩、これできっと昇進間違いなしですね」
吉羽はちらと田中を見て済まして言った。
「馬鹿者、そんな邪な考えをするんじゃない。人間謙虚が大事だ」
「そんなこと言って・・にやけてますよ?」
吉羽は咳払いをした。
「・・でも昇進した暁には・・警部補どのの鼻を明かしてやるぞ・・」
田中ははあとため息をついた。
「なんでそう張り合うのかね」
「好きに言いたまえ、田中くん」
吉羽は席に着いた。
夜も更けていく時刻。
署の所々点いている明かりを見上げる影があった。そしてやがて姿を消した。
翌朝出勤した田中は一同が集まっているのを見て近づいた。しかし誰もが口をきか
ず昨日と打って変わって重苦しい空気が漂っている。
「あの・・どうしたんですか」
すると一人が何かを彼に見えるように上げた。
田中は息を飲んだ。カードに黒い蜘蛛の絵。
彼の近くにいた同僚が呟いた。
「一体どういうことだ・・」
メンバーたちはじっとカードを見つめた。