『  卵 』




                  「・・うまくいかないなあ・・」
                  ジョーはふうと大きく息を吐くと、また真剣な面持ちで目先の事に集中した。
                  彼が腰掛けている前のテーブルの上にはいくつもの卵が転がっており、その辺
                  りには同じように色とりどりのマーカーペンが散らばっていた。ジョーは卵に
                  絵を描いていたのだ。
                  「線が曲がっちゃうなあ・・前はけっこう上手く書けたのに。きっと卵のせい
                  だ」
                  とまあジョーは自分の腕を棚に上げてそんな事を言っていたが、そもそもま
                  るっこい卵に絵を描くなど至難の業だ。
                  ただ安心なのは、ゆで卵だと言う事だ。生卵だったらもっと神経を減らさなく
                  てはならない。
                  そこへドアが開いて、健が入ってきた。ここは書斎だ。角っこに机と椅子があ
                  り、子供達がこうやって自由に本が読めるように博士が用意してくれたのでこ
                  うして彼らはちょくちょくやってきていた。
                  健は本棚に目を遣ったが、ジョーが座っている場所を見てそこへ近づいた。本
                  より面白そうだと思ったのだ。
                  「・・・何やってんの?」
                  健はジョーに訪ねた。ジョーは振り返る事なく答えた。
                  「見りゃ分かるだろ、絵を描いてんだ」
                  「うん・・分かるけど・・・何でー」
                  「どうして卵に絵を描いてるんだ。そう訊きたいんだろ」
                  「うん」
                  ジョーは手を休めずに話しを続けた。
                  「お前は分からないだろうけど、イースターだからさ」
                  「・・・いー・・・」
                  「イースター。”復活日”のお祝いだよ」
                  「お祝い?誰の?」
                  「キリストさ」
                  健は隣に腰掛けた。
                  「あれ?キリストって・・お誕生日クリスマスでしょ?」
                  「クリスマスはそうだよ。でもね、その後殺されたんだ。そして蘇った。それ
                  がイースターさ」
                  「そう・・殺されたの。可哀想だね」
                  「うん、バカな人間の代わりにね。」
                  健は卵を手に取ってごく普通の人が抱く質問をしてみた。
                  「どうして”卵”なの?なんで絵を描くの?』
                  「卵は”復活”の象徴なんだよ。中からひよこが産まれるでしょ。新しい生命が出
                  る、という事から”復活”の意味になったって。絵は・・・綺麗だからじゃない?
                  僕が産まれた島ではあちこちに卵のオブジェが飾られていたよ。」
                  「へえ・・・楽しそうだなあ。いいな、ジョーの国って。色々なのがあるんだ
                  ね」
                  「お前んところはないの?そういうの」
                  「分からないなあ・・・仏像は見た事あるけど」
                  「そうだ、お前もやってみるか?」
                  「うん、やらせて」
                  健は真新しい卵を手にするとワクワクした顔つきになった。ジョーはといえ
                  ば、そんな彼を見てふふんと鼻で笑った。
                  やがてドアが開いて博士が入ってきた。
                  が、2人とも絵を描くのに夢中で博士が入ってきた事には気づいていないよう
                  だ。
                  博士はそっと彼らの背中越しに見てうなずいた。そういえば、今日はイース
                  ターか。欧米諸国ではとても大切な行事だ。
                  きっとジョーが描いているのを見て健もやりたくなったのだろう。健といえ
                  ば、ジョーのをチラチラと見ながら、懸命に何かを描いている。
                  そんな彼らを見ているうちに博士は目を細めていた。思えば2人はあれから随
                  分成長してきた。背丈もそうだが、精神的にも落ち着いて大きくなった気がす
                  る。子供がいる同僚はよく子の育成の大変さと楽しさを話しているが、博士は
                  そんな彼らの気持ちが分かってきた。子を持つ親というのはこんな思いなのだ
                  な。
                  とそこへ家政婦が慌てたようにやってきた。
                  「ああ、博士。」
                  「どうしたんだね、そんなに慌てて。ネズミでも出たのかね?」
                  「もう、冗談はやめてください。・・・博士、申し訳ありません、今晩のメ
                  ニューは変更いたします」
                  「ん?」
                  「メインの卵がーあっ、卵っ!」
                  家政婦は子供らのところへ行こうとしたが、博士は彼女を止めた。
                  「まあ、待ちたまえ。」
                  「でも博士、今日は子供達の大好きなオムレツを、と・・」
                  「今日は彼らの好きにさせてやろう。あれは、ジョーの国では当たり前の習慣
                  なのだよ」
                  「卵に絵を描くのが、ですか?」
                  博士はうなずいた。
                  「さ、我々は行こう。邪魔すると何かが飛んでくるからね」
                  博士は家政婦の背中を押して部屋を出て行った。
                  2人といえば、まだ絵描きを楽しんでいた。まるっきり博士たちは気づかれな
                  いで済んだのだ。

                  そして綺麗に化粧した卵たちは居間の観葉植物やハンガー掛けに吊るされて飾
                  られた。
                  オムレツは家政婦が新しい卵を買ってきたので無事に食卓に並び、平穏に食事
                  が迎えられる事となった。
                  復活日にふさわしく春の優しい風が辺りを包んだ。






                     easter2016







                               ー 完 ー






                                fiction