『 そよ風
』
たくさんの本がびっしりとつまった本棚のある書斎で、
南部博士は書物を開いてじっとしていた。
やがて博士は立ち上がり、大きな窓に近づき、外を眺めた。
が、その眼は虚ろで顔色も優れない様子であった。
博士はあの時の光景を思い出していた。
一台の車がまさしくこんな感じで、この窓から見下ろす場所
から離れていく場面を。
「・・・・・。」
博士はふと戸棚と壁との隙間に眼をやり、近づいた。
そしてしゃがんで手を伸ばし、”それ”を拾い上げた。
羽根飾りの付いた小さなペン。
「ああ、これは・・・(眼を細める)。今頃になって出てくる
とは。」
博士の脳裏に、ここに引き取られて間もない幼いジョーが
彼の持っていたこのペンに興味を抱き、このあるごとに欲し
いとぜがんでいた姿が浮かんできた。
が、まだ幼いから、と博士は彼に言った。大きくなったら
あげるよ。
「・・あげられずにそのままだったな・・」
それから少し成長したジョーはこんな事を言っていた。
『博士の部屋ってどうしてこんなに難しい本ばっかりなの。
絵の付いたものはないの?』
博士は微笑んだ。
『はははは。私は大人だから、あまり絵の付いた本は読まない
のだよ。でも、君の興味があるものがあれば入れてあげよう。』
博士は、写真がたくさん載った車のハードカバーの本を取り出した。
いたずら好きでよく物を壊したり破ったりしてたジョーだったが、
これだけはとても大事にしてくれた。
そうそう、よくこうしてここに座ってずっと眺めていたっけ。
博士はソファに腰掛けた。
ジョーはここに来ても一人でいる事が多かった。
思えばあのいたずらも自分の気を引きたくてやった行為だったの
だろう。
自分を愛し、守ってくれた存在を突然失ったショックと悲しみで
つい出てしまったのだ。
「私は・・・君にとってどんな存在だったのだろう。君の両親の
代わりになれただろうか。」
しかし博士はうつむいて眼を閉じた。
「いや・・私は・・君の苦しみや悲しみをすべて分かっている
つもりだったが、最後の君の苦しみには気づけなかった。
私は酷い父親だったかもしれない。ちゃんと分かってあげていれ
ば・・少しは楽になれただろうに。
ジョー・・許してくれたまえ。」
博士は顔を上げ、羽根ペンを見つめた。そして持っていた本に
挟んだ。
「ここに挟んでおくから、いつでも見に来るといい。この部屋は
いつでも開いているから・・」
博士は本を元の位置に戻した。
そしてしばらく立っていたが、本棚を背に向け、部屋を後にした。
少し開いた窓から流れ込んできた風でカーテンが揺れた。