『 憧憬 』





                サーキット場では今日もまた爆音を響かせ何台ものレーシングカーが
                コーナーを飛ばしていた。
                そしてその中で一番速く走っていた車は一層飛ばしたと思うと、あっと
                言う間に観客の視界から消えてしまった。

                車から降りた彼は目の前で騒いでいた少年たちを見たが、そのまま歩き
                出した。
                「あ!ジョーだ!」
                一人の子がそう叫ぶと、みな駆けて来て瞬く間に取り囲まれた。
                「サインちょうだい!」
                「僕も!」
                ジョーは笑って少年たちに言った。
                「分かった、分かった。順番に並んで。」
                「ねえ、ジョーって、どうしてそんなに速く飛ばせるの。」
                「どうやったらレーサーになれるの。」
                「レーサーになりたいのか?」
                「うん、かっこいいもん。」
                「ジョーみたいなレーサーになりたい。」
                ジョーはわいわい騒ぐ子供たちを見渡した。みな瞳を輝かせて自分を
                見ている。
                彼はそんな彼らを見ているうちに子供の頃を思い出した。
                彼も車が好きで、初めて父親に連れられてレース場に行ったときは
                とてもワクワクして早く行こう、と父親にせがんだものだ。



                「ジョージ、お前は将来何になりたいんだ?」
                「僕、レーサーになりたい。だってかっこいいもん。」
                「そうか。」
                ジュゼッペは自分の手を引いて自分を見上げている幼い息子を見て
                微笑んだ。
                そして2人は町外れの小さなレース場にやってくると、いつもの
                場所に向かった。彼らはここの芝生が好きだった。天気の良い日は
                日向ぼっこできそうなくらい気持ちがいい場所だ。
                腰を下ろしたジュゼッペはジョージを自分の脚の間に座らせて彼を
                抱えた。
                やがてレースが始まった。目の前をビュンビュンと風を切って車が
                飛ばして行く。ジョージは目を輝かせ身を乗り出して目で追った。
                そんな彼には憧れのレーサーがいた。どんなレースでもその巧みな
                テクニックで、切り抜け、優勝してしまう。
                「ねえ、パパ。今日はあの人に会えるかな。」
                「さあ、どうかな。忙しい人だから会う暇はないと思うぞ。」
                「・・・そう。つまんないな・・」
                その彼の車は今日も快調に飛ばし、またぶっちぎりの強さで優勝し
                た。レースを終えた彼の周りにはあっという間に人だかりが出来た。
                しかしレースが終わったのにジュゼッペはまだ座っていた。いつも
                ならすぐに”帰ろう”と言ってジョージを急き立てるのだが。
                人気(ひとけ)がいなくなると、彼はおもむろに立ち上がり、ジョージ
                の手を取って歩き出した。
                しかし彼はいつものように出口に向かっていなかったので、ジョージ
                は不思議に思い、そのままついて行った。
                やがて行く手を見たジョージは目を丸くした。『彼』が立っていた
                からだ。
                「ありがとう。無理を言ってすみません。」
                ジュゼッペがそう言うと、レーサーは笑った。
                「いいですよ。その子がそうですか?」
                「ええ。」
                彼はジョージを見るとしゃがんで彼の目を見つめた。
                「こんにちは、ジョージ。私はミルコだ。君は私のファンだってね。」
                「うん、僕、お兄ちゃんみたいなレーサーになりたいんだ。」
                ミルコは頬笑んで、ジョージの頭に手を載せた。
                「きっとなれるよ。必ずおいで、一緒に走ろう。」
                「うん!」
                ジュゼッペはジョージの嬉しそうな顔を見てうなずいた。
                以前から彼に憧れ、会いたいと思っている事を知っていたので、こっそり
                手紙を送り、息子に会ってくれるよう頼んだのだ。
                ミルコはトップレーサーであったが、奢らず気の優しい男だったので、
                誰からも愛されていた。金髪に甘いマスクで女性に人気があったが、その
                一方で少年たちの憧れでもあった。

                それから間もなくの事だった。そのミルコがレースの練習中に事故に遭
                い、意識不明の重体となったというニュースが飛び込んで来た。
                ジョージは部屋に飾ってある彼のポスターに向かって一生懸命に神に祈っ
                た。
                ミルコの重体は続いていたが、それでもジョージは朝昼晩、ずっと祈り続
                けた。

                しかし、それから彼の両親は突然彼を連れて家を出た。
                そしてその日、両親は命を奪われ、ジョージも大けがを負った。


                それから10年たつが、ミルコがどうなったのかはわからない。生きてい
                るのかそれともー。
                「ねえ、ジョー?」
                ジョーは子供の声に我に返ってその子を見た。
                「どうしたの?」
                「ああ、いや、ごめん。何でもないよ。」
                そう言ったジョーはふと顔を上げた。その先には一人の男が立っていた。
                金髪の背の高い男。だいぶ顔に皺が入ったが、相変わらずの甘いマスク
                だった。
                男はジョーに微かに頬笑むと、じゃあ、というジェスチャーをして去って
                行った。
                それは”立派になったな。”と言っているようにも見えた。
                「・・・・・。」
                ジョーはじっと男の後ろ姿を見つめていた。いつかはきっと貴方を超えて
                みせる、彼は口には出さずにそう男に話しかけた。





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